ある方が質問されている。(引用)-「国語,社会,算数,理科,図工,家庭科,体育,音楽,外国語,総合的な学習の時間,特別活動,道徳.これだけの授業の教材研究はどんな感じでされているのでしょうか?」
特別活動には,学級活動(学級指導),クラブ活動,委員会活動などがあるので,これらが別になる。(週1にならないときもある。) 私は,(その点から考えれば)日々非常に苦しく準備を続けていた。当然?間に合わないから土曜日日曜日なども。だけれども,それでも十分とはいえない。思うようにはできない。どうしても不十分なまま授業になることも本当にしばしば。
教え子のみなさん,本当にごめんなさい。m(__)mm(__)mm(__)mm(__)mm(__)m
m(__)mm(__)m
ある時から,確かに仕方なく?軽重をつけるようなった。これは必然。そして,経験の積み重ねがかかる時間を短くした。しかし,ある方が書かれているように,教科書が変わったり学習指導要領が変わったりしたときには,また,当然,新たに取り組むようになる。
学級担任から次の仕事に変わるとき,頭の中が変わる感じがすごくした。確かに頭の中は,1年間?の計画がぐるぐるしながら「次は?次は?」各教科の具体,アイデア?などが渦巻き,日々を送っていた。
別視点だが,これらの当たり前の業務に「学校行事」が加わり,さらに生徒指導が小学校でも当たり前に入る。今のとらえは,「自分が(心)痛いと思ったら,それはいじめ」(表現が間違っているけれど・・)で,これらに時間を個別に割いて最優先で対応しなければならない。 このようなつまらない自分の経験から,いつも思っていた。自分には全てをこなすことは「絶対に」できない。他の人はできているのだろうか???と。本当に思えば情けない話。そして,今も考えている。悪いけれど(??誰に?)全教科全領域を完全に教材研究して授業することは無理。(が多い・・)本当に膨大な無理がかかる。(無理がかかっている)日々の授業に追われながら,まるで,これこそ自転車操業(に近い。先は見通しながらやっていても・・)
これを否定できる方が日本中にどれだけいるだろうか?そんなことも思う。だから,過労死となる・・。まじめな人ほど,きちんとする人ほど,さばかず丁寧に全てをこなす人ほどその可能性は高くなると思う・・。できる人がいるのも事実・・それも思う・・。だが・・。でも,見つけたのだ。考え方とそれにつながる方法。じっと考えながら,見つめながら,いた。これならば,これらのほとんどの課題が解決できる。未来びとに必要な力も付けることができる。それは『学び合い』だ。(-続く・・)
※補足 「いじめ」の現在の定義
いじめ防止対策推進法 平成25年度から
前略ー
「いじめ」とは、「児童生徒に対して、当該児童生徒が在籍する学校に在籍している等当該児童生徒と一定の人的関係のある他の児童生徒が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものも含む。)であって、当該行為の対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じているもの。」とする。なお、起こった場所は学校の内外を問わない。
ー後略 |