教えてもらうと分かるようになるだろうか。
内容の難易によって変わると言えるかもしれない。
では、内容の難易は何をもって難、易となるのだろうか。
これは、人のレディネスとか思考発達の段階とかに寄るだろう。つまり人一人ひとりで異なっている。いや、或る年齢では、ほぼ同じだと述べる方は、あまりおられないだろう。同学齢であっても小学校入学時とか、保育・幼稚園の入園時のお子様の状況を体験された方は、例えばそれが生まれ月だけで見ても体格や発する言葉、行動の違いが生じていることは明らかな事実である。
人の成長にしたがって、やがて見えにくくはなるが、個のもつ段階(これを個性,特性というと理解している。)は千差万別であるに間違いない。つまり,もっと明確に表現するならば,「人は全て異なっている。」学びに向かう準備においても。さらに,このことから「全ての人に最適な学びはほとんどできない位極めて困難なことである。」といえる。
前置きが長くなったが,これが学びの個別最適化をめざす根本的な考えである。
始めの問いに戻り,1つの回答を出すならば,「教えてもらって全ての人が分かるようになるわけではない。」ということになる。
私たちがめざすのは,全ての人が分かるようにあることである。
そして,学習内容を身に付けることから,さらに上位目標として「仲間と共に,課題に回答を見出すことをあきらめない力を付ける。」ことがこれからの社会を支えていく人に必要な力と考えている。(これは非認知能力)
では,「教える」学びと共に,取り組んでいかなければならない学びとはなんだろうか。これについて考えていかなければならない。 |